「松井、巨人かあ!」
1992年11月21日のドラフト会議。
自分は東洋大学の学園祭準備で忙しい最中、
彼に対して、そんなことを思ったことをよく覚えています。
巨人監督に復帰したばかりの長嶋さんが率いる巨人に行くということで、
なんか世の中、うまくできちゃってるなあ、という。そんなことを。
あれからほぼ、ちょうど20年。
2012年12月27日(米国時間)、
松井秀喜選手、引退。
Yahooニュース
あの時から、そんなに月日が経っているのかと、
あらためて、驚くばかりでした。
稀代のホームランバッター、松井秀喜。
日米通算507本塁打。
まさに僕らと同世代の、ベースボールヒーローでした。
ただ、松井選手が巨人に在籍していた頃というのは、
実は自分自身が最も野球観戦と離れていた時期に重なっているんです。
生で巨人戦を観に行ったことも1、2回あるかないかの時代。
ベイスターズファンになった頃はもう既に、ヤンキースの一員でしたしね。
しかも前述の通り、東洋大学だった自分は、
同学年で巨人に行った清水隆行中心で巨人の試合を観ていました(^^)
今ほどどこかの球団に思い入れがなかったため、
自分がフラットにプロ野球の試合を楽しんでいた時代。
その時代の、まさにヒーローだったんです、松井選手は。
なので、生で松井選手のプレーをほとんど観ていないため、、
印象に残っているホームランはどれ?というのが、
申し訳ないぐらいにパッと浮かんでこなかったりします。
だけどもちろん、松井選手のことが目に入らなかったわけではなく。
すぐに浮かんでくるのは、日本での公式戦最後のホームラン、
2002年に50号を放った時のホームラン。
あのあたりがスッと浮かんできますね。
ただ、松井選手のことですぐ頭に浮かんでくるのは、
あの甲高い声でのヒーローインタビュー(^^)
何かしらの番組で、そのインタビューごとの音程比較をしていたのを、
よく覚えてますね。かなり声の高さが違ってたんですよね(^^)
それと、何より松井選手のどこが好きだったかといえば、
メディアとの友好的な関わり方。
「メディアの後ろにファンがいる」
その考え方は本当に嬉しかったですね。
当時、マスコミを突き放すようなスポーツ選手が多くなってて、
非常に苦々しい思いをしていた時代だったんですけれど、
そんな中で、気さくな松井のコメントはいつも楽しみでした。
また、東スポ中心に書よくかれていた、
「AV好き」を公言するのに代表される、
ちょっと下ネタ大目なキャラクターも、
なんだかすごく近い存在に思えて(^^;)嬉しかったですね。
それから、松井秀喜ホームランカード!
日テレが松井選手入団時から始めていた視聴者サービスでしたけど、
あのカード、かなり今は貴重なものになっているかもしれませんね。
自分もあの当時、第1号から申し込んでおきたかったなあ、と…
そして、それこそたくさんのアーチをかけてくれたわけですが、
巨人からヤンキースに至るまで続けていた連続出場、
これも決して忘れてはいけない記録だなあ、と…
あらためて思いますね。
落合、清原、江藤、広沢…
さまざまな強打者がいつも彼の前に現れていったわけですが、
巨人の四番打者として、着実に成長を続けて、
いつしか押しも押されぬ不動の四番打者として君臨した松井秀喜。
願わくば…
キヨシ監督がラブコールを送り続けてくれた、
ベイスターズのユニというのも勿論そうなんですけれど…
本人が元々ファンであった、
阪神タイガースのユニフォームを着た現役の松井を、
一度でいいから観てみたかった!
そんなことを個人的には考えていたことも付け加えておきます。
長嶋茂雄⇒松井秀喜と継承された道は、
果たして次の時代、どこにつながっていくんでしょう…
本人を超えるようなとてつもないヒーローを生み出すような、
そんな指導者にいつかなってくれたら。
また日本球界のグラウンドで、ユニフォームを着るその姿を、
見てみたいですね!
燃えろ松井 キラリ光る星だ行けよ花道
火を噴けバット勝利の ミサイルホームラン
松井選手、たくさんのアーチを、
たくさんの想い出を、ありがとうございました!
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